古墳や七草など『白旗塚史跡公園』現地フォトレポートまとめ

白旗塚史跡公園 概要

竹ノ塚駅近くにある公園。

竹ノ塚エリアには多数の古墳が存在し、それらが高台に位置していたことから「タケノツカ」(高い塚)という地名に由来しているという。

こちらの『白旗塚』は、1062年(康平5年)に源頼義・義家親子が奥州反乱を鎮圧する途上の戦いで、この塚に源氏の旗である白旗を立てて戦い、勝利をおさめたというエピソードが存在している。

白旗塚(現代訳文)

「伊興村の東の方にあり、この塚があるために、このあたりを白幡耕地と名づけている。塚の免税地二十二歩(約七二平方メートル)は村人の所有である。むかし、八幡太郎源義家が奥州征伐の時、この所に白幡をなびかせて、戦いに勝ったことがあるということでこの名を伝えたという。もともと神社地で祠もあったが、この塚に近寄ると良くないことが起るといって村人はおそれて近寄らなかったために、祠はすたれてなくなってしまった。また、塚の上に古い松の木があったが、のちに立枯れて大風に吹き倒され、根の下から兵器などが数多く出た。その時村人が何事かと見て、その兵器の中からまだ鉄性を失っていない刀剣を持ち帰って家にしまったが、このための祟りであろうか、一家がみな大病にかかって苦しんだので、おそれをなして元のとおり塚下へ埋めて、印に松を植え継ぎしたという。塚の上の二株がこれだという。いま土地の人は、この松を二本松と呼んでいる。太さ一かこい半ばかりである。」
文中にある二本松は枯れ、六本杉となり、また松の木八本に植えかえられて今日に至っている。

昭和五十年二月六日、東京都史跡に指定された。

公園内の風土記

フォトレポート

そこまで広い公園ではないですが、自然があふれ、また歴史を感じることが出来る展示物も多く存在します。

白旗塚古墳

この付近の毛長川南岸の自然堤防上には、擂鉢塚古墳、甲塚古墳、白旗塚古墳など七基からなる白旗塚古墳群が形成されていたとされますが、現存するのは白旗塚古墳のみです。足立区教育委員会が擂鉢塚山古墳や甲塚古墳の推定地域を調査していますが、確認までには至っていません。擂鉢塚古墳から出土したとされる馬形・円筒埴輪から、白旗塚古墳群の築造は六世紀と推定されます。
白旗塚古墳は直径一二メートル、高さ約二・五メートルの円墳ですが、未調査のため主体部の構造や古墳の年代はわかっていません。白旗塚という名の由来は、源頼義、義家父子が、奥州安倍氏の反乱(前九年の役)の鎮圧にむかう途上に、この地に白幡を建てたためと言われています。

東京都教育委員会

公園内の案内板

秋の七草。

小川のせせらぎ。

東西南北の古代文字が記された石のオブジェ。

石碑や埴輪(はにわ)等も。

散策動画

アクセス・電話

名称 白旗塚史跡公園(しらはたづかしせきこうえん)
住所 121-0801東京都 足立区 東伊興 3-10-14
電話番号 03-3880-5853 (足立区観光交流課)
駐車場 なし
アクセス 『竹ノ塚駅』西口より徒歩15分

コメント

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